April 16, 2005

プラハの図書館とキュビズム中華

今日は午後から旅行会社に用事があったのでプラハへ行った.
午後7時前までクレメンティヌムの国立図書館で研究をしてから,カレル橋のあたりをぶらついた.夕日に照るヴルタヴァ川とプラハ城をしばらく眺めてつくづくプラハって美しいと思った.その後トラムで移動してプラハのヨン様と落ち合いムーステックのいつもと違う中華「皇宮酒楼」へ行ってみた.そこは繁華街だが,斬新なキュビズム建築の2階にある落ち着いた場所だ.値段はちょっと高いが(ビールも込みで一人千円くらい),やっぱり中華は美味い.中華レストランで我々は堂々と中国デモの話や中国と日本の政治的話題を語った.

クレメンティヌム
クレメンティヌムの中にある天文塔と図書館.この国立図書館で時々勉強してます.天文塔は上れます.





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andromedayaki at 06:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)プラハ 

April 15, 2005

Windows Update

c43c366c.gif昨夜はせっかく一晩中晴れていたのに流星観測「ソラの眼」用のPCが午前3時20分に停止してしまっていた.原因は「Windows Update」で,更新後PCが自動的に再起動しやがった(今回で2回目).観測中はチェコのインターネットタイムサーバに10秒おきに接続して時刻合わせを自動的に行っているのでネットに接続しているのだが,お馬鹿なウィンドウズが勝手に判断してしまう.これ設定でリブートしないように変更できないのかなぁ.

再来週のウィーンの学会で合流するはずだった日本の研究者が急遽来られなくなってしまった.昨日はウィーンのホテルを探してみたが既にどこも一杯なので,もったいないけどツインをシングルで泊まるしかない.小沢征爾指揮のオペラ「Elektra」のチケットも1枚余ってしまう.

今日はこれからプラハへ行く.続きを読む

andromedayaki at 14:44|PermalinkComments(2)TrackBack(0)宇宙・天文・気象・自然科学 

April 14, 2005

ロボットの由来

ヌーボ株式会社ZMPがヌーボ(NUVO)という家庭用小型ロボット(身長39cm,重量2.5kg)が発売を開始したらしい.今朝のチェコのニュースでも取り上げていた.

RUR「ロボット(ROBOT)」の語源は,チェコの作家カレル・チェペック(1890-1938)ということは有名だ.「ROBOT」は,チャペックの著書・戯曲「R・U・R(エル・ウー・エル;ロッスムのユニバーサル・ロボット)」の中での彼の造語で(兄ヨゼフとの会話にヒント得ている),夫役(強制労働)を意味する「ROBOTA」というチェコ語の語末のAを取ったものである.ちなみに,チェコ語語源で有名な言葉は他に,フス戦争で発達した武器の一つ「ピストル(PISTOLE)」がある.
[チャペックの兄ヨゼフ(画家)が描いた「RUR」, 「ロボット(RUR)」チャペック(著),千野 栄一 (訳)より]→

ロボット兵1980年に放映されたTVアニメ・ルパン三世,155話・最終回「さらば愛しきルパンよ」は,宮崎駿が手掛けた作品で,このアニメに搭乗する「装甲ロボット兵ラムダ」は宮崎アニメの後の作品「天空の城ラピュタ」にも登場した「ロボット兵」と同じだが,ヌーボはロボット兵に実に似ている.やはり,関節数を減らして最適化すると「ロボット兵」の形になるのだろう.

ロボットが出版されて85年が経ち,ようやく一般家庭にロボットが普及を始める時代になった訳だ.チャペックが日本のロボット「ヌーボ」を見たらどう思うだろうか.

andromedayaki at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チェコ 

April 13, 2005

フェルメール三昧

d9051263.jpg今週末はフランクフルト1泊の旅に行く.目的はシュテーデル美術館の「フェルメール特集」.以下の5点の作品が集結している.実は昨年末にシュテーデル美術館に行ったときは,フェルメールの作品は他の美術館へ出張中ですれ違いに終わり悔しい思いをしたので,そのリベンジでもある.

Lacemaker (Louvre)
The Geographer (Städel collection)
A Lady Writing (National Gallery of Art in Washington)
Woman with a Lute (Metropolitan Museum of Art)
The Love Letter (Amsterdam Rijksmuseum)

レースを編む女(ルーヴル美術館)
地理学者(シュテーデル美術館)
手紙を書く女(ワシントンナショナルギャラリー)
窓辺でリュートを弾く女(メトロポリタン美術館)
恋文(アムステルダム国立美術館)

Takさんからの情報によると,ウィーンの美術史博物館の「絵画芸術」は,3月25日から6月26日までハーグのマウリッツハイス美術館に展示されているとのこと(詳細).今月末は仕事でウィーンへ行くので「絵画美術」を楽しもうと思っており,6月26日か27日のどちらかにオランダのマウリッツハイス美術館に行く計画を立てていたのでダブルすれ違いになるところだった.助かりました.

コンフェデレーションズカップのチケットをドレスデンの友人に入手して頂けたので,6月22日ケルンでの「日本vsブラジル」戦と6月29日ライプツィッヒでの「三位決定戦」の観戦に行く.その間1週間は休暇を取って,ブレーメン,オランダ,ベルギーを廻る予定.

フランクフルトまでは車で往復1200kmの旅.もちろん途中のヴュルツブルク(Wuerzburg)にある世界遺産「レジデンツ」は見逃さない.あとはニュルンベルク(Nuernberg)でニュルンベルク・ソーセージを食えれば満足である.
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andromedayaki at 21:58|PermalinkComments(3)TrackBack(1)フェルメール 

April 12, 2005

チェコスロヴァキアの宇宙飛行士「ユーリズ・ナイト」

今日は「ユーリズ・ナイト」,人類が初めて宇宙へ行った記念日.世界中でイヴェントが開催されている.そこで今日はチェコスロヴァキアに関する宇宙飛行士を2名紹介する.

レメク宇宙飛行士
サーナン宇宙飛行士ソ連とアメリカ以外の初めての宇宙飛行士となったチェコの宇宙飛行士ヴラディミール・レメク(Vladimir Remek,1948年生,当時29歳)は,冷戦時代の1978年3月2−10日に,ソ連の宇宙船・ソユーズ28号に搭乗.サリュート6号とドッキングして移乗などを行った.

サターンV夜間打ち上げ一方,チェコスロヴァキア人を祖父母に持つアメリカの宇宙飛行士ユージン・サーナン(Eugene A. Cernan,1934年シカゴ生まれ)は,1966年ジェミニIXミッションで宇宙飛行を行い,アメリカ人で二人目となる宇宙遊泳を行った.1969年5月に打ち上げられたアポロ10号は,月周回軌道上で司令船(CM;Command Module),機械船(SM;Service Module),月着陸船(LM;Lunar Module)を有人で飛行させ,アポロ11号以降で予定されている有人月着陸計画の最後の検証を行うことが目的であったが,サーナンは同ミッションに月着陸船パイロットとして搭乗し,月面まで何と約15kmの距離まで近付き表面の様子を詳細に伝えた.サーナンの3度目の宇宙飛行は1972年12月のアポロ17号による6回目となる有人月面着陸であった.ユージン・サーナンは船長として搭乗し,サターンV型ロケットの初めての夜間打ち上げで月へ行った.アポロ計画は予算カットのためアポロ17号が最後のミッションとなったため,結果的に彼は月に立った最後の宇宙飛行士となったのである.アポロ計画で2回月を目指した(月周回,月着陸)宇宙飛行士は3人だけである;ジェームズ(ジム)・ラベル(8号,13号),ジョン・ヤング(10号,16号),そしてユージン・サーナン(10号,17号)である.
アポロ17月面車
オレンジ・ソイルアポロ17号ミッションでは,月面の撮像観測,測距観測,大気構造・成分観測,重力加速度測定,土壌測定(力学測定,中性子測定,電気特性測定),宇宙線観測,ダスト測定,熱伝導度観測,人工地震波観測,115kgの月岩石の採取など最も多くの観測と実験を行った有人月ミッションで,今日の月の研究成果はこれらのデータが基になっている.


【後日談1】

サーナンはチェコスロヴァキアの国旗を月面に立て,そしてその国旗を地球に持ち帰った.月に立てられた国旗は,小生が勤めるここオンドジェヨフ天文台(Ondrejov)に寄贈され飾られている(後ほど写真を撮影して紹介します).

【後日談2】

旧ソ連とアメリカ以外で初めての宇宙飛行士となったレメクと,アメリカで2人目の宇宙遊泳を行い人類で最後に月に立ったサーナンは2001年プラハで初めて顔を合わせ,サーナンの祖父の故郷へ共に向った.しかし,2001年10月28日,レメクとサーナンは,サーナンの祖父の故郷であるBernaticeへ向う空軍ヘリコプターに同乗中にプラハの南約100kmのMilevskoで墜落.150m以上の高さから墜落したが,幸運にも彼らは助かった.そして,プラハの病院に収容された12人の搭乗員のうち,サーナンは最も早く退院したそうである.さすが月に立った最後の男である.

【冷戦時代の宇宙開発】

ナチスが崩壊しドイツが連合軍の手に渡ると,ソ連とアメリカは挙ってドイツのロケット科学者を取り合って,ここに両国の宇宙開発・冷戦時代が始まったのである.

 1957年10月4日;ソ連,世界初の人工衛星「スプートニク1号」打上げ
 1958年1月31日;アメリカ,米国初の人工衛星「エクスプローラー1号」打上げ
 1961年4月12日;ソ連,ユーリ・A・ガガーリン(1934−68)はボストーク1号で人類で初めて宇宙へ行く
 1961年5月5日;アメリカ,マーキュリー3号/フリーダム7によるアメリカ初の有人宇宙飛行
 1969年7月21日;アメリカ,アポロ11号のアームストロング船長は着陸船イーグル号から出て9段のはしごをゆっくりと降り,左足の靴底を月面のレゴリスへ足跡を刻んだ.「これは一人の人間にとっては小さな1歩だが人類にとっては巨大な飛躍である.(That's one small step for a man, one giant leap for mankind.)」

旧ソ連から宇宙へ行くと「コスモノート(Cosmonaut)」になり,アメリカから宇宙へ行くと「アストロノート(Astronaut)」になる.冷戦時代,宇宙を舞台に競い合った両国の宇宙飛行士の呼び名が違うのは面白い.そして,レメクとサーナンは,社会主義国と民主主義国の狭間で揺れたチェコスロヴァキアに由来する宇宙飛行士達だったのである.続きを読む

andromedayaki at 15:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)宇宙・天文・気象・自然科学 


チェコの愛車
シュコダ
シュコダ・フェリツィア, 1300cc, 5MT, 1995年型
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プジョー206-S16, 2000cc, 5MT, 2001年後期型
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