April 09, 2005

アポロ13

JSCコントロールセンター結局プラハ映画音楽際では2本の映画しか見られなかったので,今日はプラハで買ってきたDVD「アポロ13」を観た(もちろん以前にも日本で観た事はあるが).1969年7月20日,アポロ11号で初めて人類が月面に立った翌1970年4月11日14時13分 (EST/CST:13時13分)にアポロ13号はサターンV型ロケットで打ち上げられた.サターンV型ロケットは,ウェルナー・フォン・ブラウン(Wernher Von Braun)が開発した,全長110メートル,最大直径10メートルの巨大なロケット.



KSC-サターンV小生も小学校低学年の時に現在のお台場・船の科学館で開催された「宇宙博」において本物のサターンロケットを初めて見たが,余りにも巨大なサターンV型ロケットが今でも鮮明に記憶に残っている.打ち上げシーンはやはり感動する.

月に向うアポロ13号モジュールは,機械船(SM;Service Module),司令船(CM;Command Module),月着陸船(LM;Lunar Module)の3つで構成されているが,アポロ13号は月まで残り1/5の距離まで達した時点でSMの第二酸素タンクが爆発,第一酸素タンク損傷し燃料電池機能が停止した.酸素は燃料電池用と呼吸用に使用されており致命的なトラブルである.クルー達はLMモジュールに一時退避し,月面着陸を諦め,電力を極力節約しながらロケット・エンジンの推進剤を節約するために月の引力を利用する軌道(自由帰還軌道)をとって地球へと向う.地球大気再突入時には,工夫を凝らして電力容量ギリギリのオペレーションを行い無事に地球に帰還したという実話である.見所はNASAジョンソン・スペース・センター(JSC)とのやり取りと,JSC職員,特に彼らを統括するミッション・コントロール・マネージャーであるジーン・クランツ(Gene Kranz)だろう.

JSC-2
JSC-サターンV小生は先月,ジェミニ計画以来1996年まで数々のミッションを支えてきて,そしてまさにこの感動の舞台となったJSCコントロール・ルームを訪れたが,数々のミッション・パッチが壁に敷き詰められ,古めかしいコンピューター群が並ぶその部屋からは,アメリカの先駆者達の宇宙へ掛ける情熱が伝わってきた.そしてジーン・クランツの「Failure is not an option!」は,アポロ13号の時に発せられた言葉だったのだ.「Failure is not an option」ストラップをお土産に購入.小生もこのストラップを付けて,来るべき我がISASのミッションに臨むつもりである.人間を宇宙へ送りそして地球へ安全に帰還させるという事に必要な多枝に渡る複雑なシステムと,それらをバックアップする多くの人々の連携が全てがうまくいった時に人類は月に立つこと,そしてアクシデントを乗り越えて地球へ帰還することができたのだ.35年経った現在,技術は進歩したものの当時の開発ノウハウは失われ,NASAはサターンV型ロケットのようなシステムを創ることはできなくなっていると聞く.果たして人類は近い将来再び月に立てるのだろうか.

APOLLO13-SM酸素タンク攪拌用ファンの電線の被膜が剥がれてショートしたスパークに因って爆発したとされるが,爆発によるダメージがSMだけに止まり,CMやLMが損傷を受けなかったのは奇跡か偶然か?映画の中でも描写されるが,クルー達,特に司令船パイロットのジョン(ジャック)・スワイガートと月着陸船パイロットのフレッド・ヘイズは,非常事態にもかかわらず月面の観測・撮影に夢中になっていたという.一方,船長のジェームズ(ジム)・ラベルは神妙な面持ちだった.アポロ13号の数字「13」や打ち上げ時間が13時13分であったこと.CM(司令船)の愛称が「オデッセイ (Odyssey) 号=放浪・冒険」などを鑑みると,もしかしたらこれは仕組まれたミッションだったのではないか!?という憶測もできなくはない...

[ジョンソン・スペース・センターのミッション・コントロール・センターへは,ビジターセンターから青のトラム・ツアーで参加できる一番の人気コース]
[研究でNASAのフライト・ミッションに参加した帰路に寄ったケネディー・スペース・センターにて]
[マーキュリーやアポロ時代に使われたロケットなど]
[サターンV型ロケットは特別記念物に指定され展示室が作られれている関係上,現在はまだ見学できない(2005年3月の時点)]
[アポロ13号の宇宙飛行士が撮影した機械船(SM;Service Module)の破損箇所]

andromedayaki at 23:59│Comments(1)TrackBack(1) 宇宙・天文・気象・自然科学 

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1. 地球は青かった  [ 居酒屋まー ]   April 12, 2005 22:40
災害クリック募金にご協力を 今日は旧ソ連の有人宇宙ロケットが地球外へ向けて発射された日だとか。...

この記事へのコメント

1. Posted by ソラ   April 12, 2005 23:00
1961年4月12日,初めて地球を見たユーリ・ガガーリン宇宙飛行士は,「地球は青かった」と言いました.

故カール・セーガン博士の提案で,1977年打ち上げられた「ボイジャー惑星探査機」が土星を過ぎたところで地球を振り返って撮影を試みました.背景にある銀河の星星に埋もれてしまった地球は,シミの様な点でかありませんでしたが,それは他のどんな星よりも青青とした PALE BLUE DOT だったのです.彼の著書「ペール・ブルー・ドット(PALE BLUE DOT)」に詳しくは記されています.

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SOLA

流星-彗星-小惑星を追い求め世界を放浪する天文学者の四方山話。地球(チェコ-台湾)を拠点に宇宙・科学・文化・芸術・音楽を楽しむ旅人生ブログ。

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