June 05, 2005

タトラ雪山で滑落

タトラ1午前8時過ぎにルーボシュ・K氏,小生の3名は天文台を出発.目指すはヤフニャチー・スティート(Jahnaci stit),標高こそ2229.6mしか無いが,往復10〜11時間の長丁場である.小生が先頭に立ち登山開始.最初の目的地は,ヴェルカー・スヴィシュチョヴカー山頂(Velka Svistovka; 2037.6m).マップに因ると約1時間15分のコース.スヴィシュチョヴカーとはマーモットのこと.この辺りにはマーモットが生息しており,保護地区になっている.途中雪渓渡りなどがあったが,かなりいいペースで登り,山頂まで50分で到着.山頂からは,眼下にゼレネー・プレッソ(Zelene pleso),その名の通り,グリーンの池が輝いている.何と標高差600m近くを降りなくてはならない.目的のヤフニャチー・スティート山(右手の山)の斜面は真っ白な雪で覆われている.装備無しで本当に登れるのだろうか?K氏が心配そうに言う.



タトラ2タトラ310分の休憩の後,山頂を出発.今度は1時間30分の長い下り.段々雪が多くなってくる.帰路を考えると,いやになるほどの長い下りである.1時間程でゼレネー・プレッソの山小屋(標高11551m)に到着.本当に美しい場所で,ハイ・タトラの中でも登山家らが集まるメインステーションのような場所だとか.正面に立ちはだかるヴェルカー・ズムルズナー・ドリナ(Velka Zmrzla dolina;巨大な氷の壁)は,タトラで一番大きな標高差800mの岩壁だ.本当に素晴らしい垂直の壁であるが,何人ものクライマーが(今日でも)命を落としている.こんな壁を登れたらさぞかし気持ちいいだろう.

タトラ4かなりいいペースでここまで来たので30分ほど大休止して,いよいよヤフニャチーの頂目指して出発.引き続き小生がトップを歩く.標高1800m辺りから雪渓の中を歩くようになる.トップは雪を踏み固めながら進まないといけないのでかなり疲れる(セカンド以降は踏み跡を辿ればよい).小生は装備(アイゼン)がないこと以外に標識(岩のペイント)が雪に埋もれて見えず道を失ってしまいそうで先へ行くことを渋っていると,ルーボシュが先頭に立ちどんどん登っていく.そしていつしか我々は大雪渓の最上部付近,標高2100mまで登ってきてしまった.スリップしたら数百メートルは滑落して止まらないだろう.死ぬか大怪我は免れないところまで来てしまった.登山者は他に誰もいない.

タトラ5タトラ6その時,K氏が100mほど離れた我々の左手にペイント標識と上部の岩場へ続く本道を発見.しかしそれは急な雪斜面を挟んだ向こう側だった.小生は一旦戻って標識へ向うのだと思っていた(実際にそのように彼に意見した)が,ルーボシュは「今登っている岩を登れば向こうと繋がる尾根道があるだろう」と言って更に進むことになった.崩れやすい岩肌(岩を掴むと恐ろしいことにボロボロと崩れる.更に厄介なのは柔らかい土が岩の間と表面を多い,雨で濡れた草が沢山生えているのだが,それを掴むと土ごと抜け落ちるのだ)を壁にへばりつきながら三点支持で慎重に登り岩棚の上へ出た.引き返すのも相当危険な斜面を登ってきてしまったのである.後から登ってきたルーボシュ氏は雪渓の横でしゃがみ込み,「私のミスだ大変すまない」と謝った.彼の横には落石が沢山落ちていて,ここにいるだけでも危険な場所(上部からの落石の溜まり場)だということは一目瞭然だ.


タトラ7K氏が様子を伺いに先にいった(足場が無くて小生の先に行かざるを得なかった)ところ,更に上に登れるかもしれないと報告.小生はK氏の更に先の岩場へ進み,雪渓の殆ど最上部へ登ってみて,上部の様子を伺った.確かに稜線に出ればその可能性はあるが,尖って崩れやすい尖った尾根(リッジ)に体をくっ付けながら進むことになる事.そしてもしそのリッジが本道と繋がっていなかったら,そこから引き返すことができないこと(多分,本道はリッジの向こう側の数十メートル下にあると思う),天候が悪化していることなどから判断し,完全撤退を告げ,全員それに賛成した.




滑落位置小生が最後になって急な斜面を降りる.岩肌は脆く崩れやすいので,危険を承知で雪渓と壁の間を少しずつ降りる.雪渓が岩と接する部分は深さ1〜2mの空洞があり,そこに足を捕られたらまずい.ロープもアイゼンもピッケルも無いし,滑ったらまず死ぬという危険極まりない状況だった.しかもK氏は前日にテスコで買った500Kcの安トレッキングシューズである(前途ある学生さんにここで死なれては困る.彼を登山に誘ったのは小生だし,軽装で大丈夫だと言ったのも小生だ).事故が起こる可能性は充分にあった.狭い雪渓部を何とか降りた我々だったが,ここで方向を変えた最後部の小生がバランスを崩してスリップ.「おっ」と叫んで急な斜面を滑落.最初は尻餅を付いた形だった.最初は止まるかと思ったが加速.一瞬遅れて鉄則通りうつ伏せになるように体を左に回転させた.ここで手にピッケルを持っていれば,刃を突き刺してまだ止められるスピードだった.しかし右手にはステッキ1本.頑張っても雪には刺せなかった.そして,恐ろしいことに次第に体が加速して急斜面を落下していく.もう止まらない.誰も止められない.「やばい」と思った.書きかけの論文や幾つかの事が頭を過ぎった.俺はスロヴァキアのタトラ山で散るのか?しかし,人生を振り返る走馬灯ではなかった.肩越しに下を見ると,落下していく方向,数百メートル下部に巨大な岩壁がみえた.「これはヤバイ,死ぬぞ!」,背筋が凍った.更に首を捻ると,右手に岩肌が剥き出した中州の様な草地が見える.「あそこに引っ掛かれば止まるかもしれない」.そして,そちらへ体が流れるようにした.もうかなりのスピードだ.恐ろしいことに徐々に加速している.「時速40km以上か.もしあそこの剥き出しの岩と草地の中州の左横を過ぎてしまうと更に100mほど下部の大岩に激突する.そうなったら,死ぬかもしれない.中州にぶつかっても弾き出されてしまったらそのまま更に斜面を滑落してカールの最下部の池まで直行だな.クレバスがあったら更に悪い」. 叫んでいる余裕などない.ただ驚くほど冷静に幾つかの判断をした.うまい具合に体が中州状の岩場の方向へ流れた.頭部を守り衝撃に備えるため中州の手前で体を右に回転させて敢えて仰向けになった.ザックは防水カバーですっぽり覆われているので雪面との抵抗が少なくなってソリの様に加速を増す.ゴロゴロした岩が沢山見えてきた.「うわぁー痛そうだ.これは怪我は免れないぞ.でも保険にも入っていないし,ヘリコプターの世話にはなりたくない」.両足を前え揃え,両腕を広げ接地面積を大きくして摩擦を心掛けて突っ込む用意をした.自分の心の中でカウントダウン.3・2・1・激突!肘から下の両腕を地面に押し付けて摩擦を大きくする.「ゴロゴロゴロ」と大きさ10cm〜30cmほどの岩の上を滑る.岩に体が弾かれないように踏ん張った.激しい衝撃だったが約5〜6mほど中州の上をすべり,再び始まる雪面の1〜2mほど手前で止まった.「ふー止まった」と頭を地面に付けて仰向けに横たわった空を見上げた.足に激痛が走った,「折れたか?」.最初は動かさず,ゆっくりと手で曲げてみた.どうやら左足太腿裏の筋肉が肉離れのような感じだ.服は尻が少し破けたが,クライミングズボンとカッパを二重にして履いていたので大丈夫だ.体を点検して大きな出血はなかったので,寝転がったまま上半身を起こして「ドブリー(大丈夫だ)!」と呆気に取られている遥か上の二人にステッキを振って合図した.数分間じっとしてから立ち上がった.どうやら歩けそうだ.雪渓下部で彼らと合流して,服を脱いで外傷をチェックしてもらった.ヤッケが破れて腕に掠り傷があるだけだった.手袋をしていたので手のひらも外傷無し.左足の腿の裏の筋肉の筋が軽く切れているような感じだったが,ステッキをついてちゃんと歩けた.滑落開始から約20秒間,150〜200m滑落した(傍観者のK氏の証言と一致).100mを20秒で落下した場合,加速度は0.5m/s^2で最終速度は時速36km.150mの場合,加速度は0.75m/s^2で最終速度は時速54km.恐らくこの中間位の速度でぶつかったと思われる.後100m滑落していたら時速70kmで大岩に激突していたことになるので,多分死んでいただろう.小生の落下した跡が雪渓にくっきりと残っている.それは,岩と草地へ引っ掛かるように左へカーブした曲線になっていた(もうブログ用の写真を撮影する余裕などない).もし数日早かったら,雪解けがもっと遅れていたら中州は雪の下だったろう.九死に一生を得た.初めての滑落の体験であった.

タトラ8下山中,二度と雪渓を滑落しないように慎重に歩く.遥か下に半分凍った青々とした池が見える.ここで滑ったらあそこの池に飛び込むのかなぁ,などと考えながら雪渓を歩いた.雪渓が終わり,傷を負った小生が先頭に立った.ゼレネー・プレッソの山小屋が見えてきた.安堵感が沸きあげてきた.山小屋で更に詳しく体をチェックし,温かいグラーシュを食べた.これがまじで最高に美味かった(今までで一番).


タトラ9タトラ10どうやら歩行には殆ど問題がないようなので,迂回ルート(時間は掛かるが峠を越えない)を取らずに再びヴェルカー・スヴィシュチョヴカー山を登り,天文台へ戻るコースを取ることにした.小生が先頭で歩いた.歩いているうちに足の調子が良くなってきた.あまりに登る速度が早いので,二番手のルーボシュの息がとても荒く,2回ほど休憩を入れて山頂に到着.標高差600mを下りと同じ1時間で登ったことになる.途中で氷(小さな雹)も降ってきた.そしてようやく天文台の姿が雲間から見えた.無事生還.3人でビールで乾杯した.あー生きていて良かった.考えてみると,今回の小生の山行に全て付き合ってくれて,小生の希望を無事に叶えてやろうというルーボシュ氏の親切さが裏目にでたのだと思う.彼自身もヤフニャチー・スティート山には20年前に登ったきりで,地元人とは言えルートを良く覚えていなかったのも原因であろう.これに懲りず,日本に帰ったら単独行は控えて山岳会に入会して雪山登山の基礎から勉強し直そうと思う.と言ってはいるが,7月初旬には,スロベニア最高峰(2900m)のトリグラフ山(ユリアン・アルプス)に単独で登る予定である.次回は2泊3日の長丁場なので,あと1ヶ月間は,体力作りもちゃんとしようと思う.最後に,タトラ山は低い山だと思って舐めてはいけない.登山道が日本のように完全整備されていないし,非常に険しいので毎年10人は死んでいるそうだ.

andromedayaki at 23:59│Comments(10)TrackBack(0) スロヴァキア 

 トラックバックURL...記事に関係ないTBは削除させて頂きます

この記事へのコメント

1. Posted by ユウ   June 06, 2005 21:30
もうドキドキしながら読ませて頂きました
こうした登山の経験はないのですが雪渓に潜む怖さがものすごく伝わってきます
スキーで38度の斜面(当時アイスバーン状態)を途中でコケたとき、なすすべなく下まで滑り落ちていったのですが、全然比べものにはならないですね
とにかく大きな怪我が無かったようで良かったです!
2. Posted by satuki   June 07, 2005 01:02
大丈夫?
すごい経験だねえ、私は絶対登山はしまいと

あまり危険なことはしないように

また色々聞かせてくださいませ
3. Posted by まーらいおん   June 07, 2005 15:45
ともあれ無事に帰ってこられて良かったです。本当にソラになってしまうところでしたね。いや、笑えない〜。プラハに行ったときにまたいろいろ報告を聞かせてくださいませ。
4. Posted by Kazu   June 07, 2005 17:34
昨晩、フラチャンスカーの駅で、無事に生きている
姿を見たときには、ほっとしました。大きな怪我も
なく、お帰りになられて何よりです。今度、報告を
ゆっくりと聞かせてください。
5. Posted by 傍観者Kの証言   June 07, 2005 19:53
いやいやいや…あの時は、誰か落ちるのは時間の問題でしたよね。滑落の際の心境の変化。後ろからソラさんが滑ってくる。1)お、シリセードで行くことにしたんだ、それもいいかもなあ。2)うまいじゃん。3)あれ、なんか必死じゃないか? 4)おいおいおい!止めようとしてるじゃんか! 5)あああ、行(ある意味、逝)っちゃったよ… 6)(ルボシュさん、私たちにできることは何もない、と言う)全くです。7)おーい、どこまで行くの〜? 8)うは、岩にぶつかってるんですけど。 9)生きてん…のか? 10)お、手ぇ振りおった。だんだん小さくなってくソラさんを見ながら、ああ携帯通じんのかなあ、とか、ヘリ来てくれんのかなあ、とか、ゼレネー・プレッソから人連れてくんのかなあ、とかぼんやりと考えてました。死ぬはあんまり思わなかったですけど、歩けなくなるくらいの大怪我はあるだろうと思ってました。ほんとに僥倖でしたよね。
6. Posted by ソラ   June 08, 2005 15:03
☆ユウさん,satukiさん,まーらいおんさん, Kazuさん,傍観者Kさん

ご心配をお掛けしました.何とか無事で良かったです.
左大腿部&臀部の打撲,腕の擦り傷だけで済み確かに僥倖に
恵まれました.
スキー場は岩などの障害物やクレバスが無いとはいえ,急斜面は同じ危険を含んでいますよね.
保険にも入っていなかったのでヘリだけは呼びたくないと思っていました.
今回のことがトラウマにならないようにスキルを磨きたいと思います.
7. Posted by s   June 11, 2005 00:00
このような経験をされたのに、
まだ登ろうとするところがすごいですね。
何がそこまでさせるのでしょう。

健康に気をつけてくださいね。
8. Posted by ソラ   June 11, 2005 00:20
今回の件は装備無し.かつ自分のミスですので,
リベンジというか,まあ単に登りたいだけです.

次に登るのはとても美しいトリグラフ(スロヴェニア語で3つの頂という意味,チェコ語と似ている)

ここ数日の冷え込みで今日はー7℃のようです.
雪がまだ残っているので次はちゃんとアイゼンと
ヘルメットなどを持っていきます.
http://www.summitpost.org/show/mountain_link.pl/mountain_id/693
9. Posted by Pan.M   June 19, 2005 04:44
ソラさんの行くところ、何かが起こる?
不謹慎ですみませんが、次回はくれぐれもお気をつけて..。スロヴェニアの山は本当に美しいそうですよ。
10. Posted by ソラ   June 20, 2005 05:49
トリグラフに登って初めて「スロヴェニア人」として認められるそうです.小生もスロヴェニアンになってきます.

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
チェコの愛車
シュコダ
シュコダ・フェリツィア, 1300cc, 5MT, 1995年型
神戸の愛車
プジョー
プジョー206-S16, 2000cc, 5MT, 2001年後期型
プロフィール

SOLA

流星-彗星-小惑星を追い求め世界を放浪する天文学者の四方山話。地球(チェコ-台湾)を拠点に宇宙・科学・文化・芸術・音楽を楽しむ旅人生ブログ。

最新コメント
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
空 犬