チェコ
July 04, 2007
チェコ天文学への誘い
昨年、「冥王星が格下げされる」というショッキングな決定がプラハの国際天文学連合の会議で発表され、日本でも大きな話題となりました。その決定の場がプラハだったということで、ルドルフ二世時代のケプラーを始めとするチェ コ天文学も脚光をあびました。 今回は、チェコの天文台に2年間留学して、現在は惑星科学会/天文学会等で活躍されている阿部新助氏をお迎えして、チェコにまつわる天文学についてお話いただきます。興味深い宇宙世界について聞くことのできる数少ないチャンスです。お友達をお誘いの上、ぜひチェコ大使館へお出かけください。
テーマ:「チェコ天文学最前線」
日時: 2007年7月13日(金)18時30分〜20時
開場:18時
会場: チェコ共和国大使館内映写室
申し込み先: E−mail: yamamoto@czech.cz(チェコセンター・山本)
定員100名(申し込み先着順とさせていただきます)
申し込み締切り: 7月11日(水)
主催: チェコセンター(東京都渋谷区広尾2−16−14 チェコ 共和国大使館内)
TEL: 03−3400−8129
Fax: 03−3400−8186
後援: チェコ共和国大使館・朝日新聞社
チェコ倶楽部Jaro-02(埼玉県新座市片山2−8−9)
テーマ:「チェコ天文学最前線」
日時: 2007年7月13日(金)18時30分〜20時
開場:18時
会場: チェコ共和国大使館内映写室
申し込み先: E−mail: yamamoto@czech.cz(チェコセンター・山本)
定員100名(申し込み先着順とさせていただきます)
申し込み締切り: 7月11日(水)
主催: チェコセンター(東京都渋谷区広尾2−16−14 チェコ 共和国大使館内)
TEL: 03−3400−8129
Fax: 03−3400−8186
後援: チェコ共和国大使館・朝日新聞社
チェコ倶楽部Jaro-02(埼玉県新座市片山2−8−9)
November 01, 2006
プラハの空から魚が降る〜カフカ賞〜
空から魚が降るという現象は、昔からよく知られていて、小生は見た事はないが、これまでに何度か耳にしてきた。原因は詳しくは分かっていないが、竜巻で巻き上げられた小動物が大量に降ってくるようだ。
「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるスタンド使いのウェザー・リポートが、空から魚や蛙を意図的に降らせることができたのは、発想は面白かったが、現象には驚かなかった。
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「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるスタンド使いのウェザー・リポートが、空から魚や蛙を意図的に降らせることができたのは、発想は面白かったが、現象には驚かなかった。
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September 01, 2006
August 30, 2006
東欧鉄道の旅-ブタペスト小旅行
週末は、プラハからプラっと鉄道でハンガリー(ブタペスト)へ温泉小旅行。東欧の夜行には泥棒が乗車しているのが普通みたいなので、往路は寝台を使った(プラハ中央駅の乗車ホームでは、既に手ぶらの怪しい男達がうろついていた)。以前も夜行で見知らぬ人が寝台に入ってきたことがあったので、今回はチェーンでロック。というか、最初からチェーンが用意されていた。更にカーテンの隙間(いかにも外から覗いてくれというような四角い穴が開いていた)をバンドエードで止めて、外から覗き見されないようにした。
で、今回も案の定、夜中に見知らぬ男が部屋に忍びこもうとしてきた。ドアをチェーンでロックしておいたので「ジャリン」というチェーンの音で目が覚めた。カーテンを開けると、その男はビックリした顔で手を合わせて「入れてくれ〜」って言って頼んできた。やれやれ、東欧の夜行は気が抜けんなぁ。
ちなみに、ブタペストの観光も温泉も食事も最高だった(食事はもっと色んなものを食べたかったので次回)。おまけに年に一度のカーニバルの日に出くわしたので、観光の方はちょっと予定が狂ったが、マジャールの美女達を拝見できたのが良かった。
YHに泊まったので、夜中までバックパッカー達と飲んで仲良くなった(欧州をバイクで走るフリーのカメラマン、おフランスのキーホーさんとの出逢いは印象的だった)
きーほーさんに駅で見送られて、帰路は昼間の電車で戻ったが、冷房が無いチェコ車両で、かつ窓も開けられなくて蒸し風呂状態。同席のスロヴァキア人がブラチスラヴァのトラック運転手で、小生が丁度、スロバキアの新聞の太陽系の欄を読んでいたので、その話題で盛り上がったりした。スロバキアでも冥王星の話はみな知っているようだ。小生はチェコ語で、トラックの運ちゃんはスロバキア語だったけど、結構よく理解できた。
で、今回も案の定、夜中に見知らぬ男が部屋に忍びこもうとしてきた。ドアをチェーンでロックしておいたので「ジャリン」というチェーンの音で目が覚めた。カーテンを開けると、その男はビックリした顔で手を合わせて「入れてくれ〜」って言って頼んできた。やれやれ、東欧の夜行は気が抜けんなぁ。
ちなみに、ブタペストの観光も温泉も食事も最高だった(食事はもっと色んなものを食べたかったので次回)。おまけに年に一度のカーニバルの日に出くわしたので、観光の方はちょっと予定が狂ったが、マジャールの美女達を拝見できたのが良かった。
YHに泊まったので、夜中までバックパッカー達と飲んで仲良くなった(欧州をバイクで走るフリーのカメラマン、おフランスのキーホーさんとの出逢いは印象的だった)
きーほーさんに駅で見送られて、帰路は昼間の電車で戻ったが、冷房が無いチェコ車両で、かつ窓も開けられなくて蒸し風呂状態。同席のスロヴァキア人がブラチスラヴァのトラック運転手で、小生が丁度、スロバキアの新聞の太陽系の欄を読んでいたので、その話題で盛り上がったりした。スロバキアでも冥王星の話はみな知っているようだ。小生はチェコ語で、トラックの運ちゃんはスロバキア語だったけど、結構よく理解できた。
September 04, 2005
夏の思い出(1)
8月6日;東京駅・駅舎に到着。
JAXAiで野口宇宙飛行士の勇姿を拝見。
上野の西郷さんに帰国報告。
上野西洋美術館で開催されている「ドレスデン国立美術館展」を鑑賞。
フェルメールの「手紙を読む少女」と再会。思えば去年の6月にこの絵画とドレスデンで巡りあってから小生の欧州フェルメールの旅が始まったのだ。フェルメール展inフランクフルト,フェルメールinアムステルダム,フェルメールinデンハーグ。
夏の思い出(1)
8月6日;東京駅・駅舎に到着。
JAXAiで野口宇宙飛行士の勇姿を拝見。
上野の西郷さんに帰国報告。
上野西洋美術館で開催されている「ドレスデン国立美術館展」を鑑賞。
フェルメールの「手紙を読む少女」と再会。思えば去年の6月にこの絵画とドレスデンで巡りあってから小生の欧州フェルメールの旅が始まったのだ。フェルメール展inフランクフルト,フェルメールinアムステルダム,フェルメールinデンハーグ。
夏の思い出(2)
8月6日;東大本郷,赤門を通過。本郷→湯島→秋葉原→御茶ノ水→神保町は、小生の庭である。学部生の頃はいつもこの辺りを徘徊していた。
樋口一葉の旧家付近を散策。小生は昔からこの付近の雰囲気が好きだが、実はここに来たのは初めてだった。
本当の鬼子母神(きしもじん)の鬼の字には角が無い(由来はこちら)。この境内は,小生が浪人生時代(河合塾池袋南校舎)の憩いの場所であった。今も変わらずに,駄菓子屋が開いていたのでラムネを飲んだ。この駄菓子屋は東京か豊島区で一番古いらしい。どうでもいい話だが、ここは「流星刀の女たち(森雅裕著)」の舞台にも出てくる場所だ。
都電荒川線に乗って東池袋方面へ向う。この近くにある雑司が谷墓地も小生のお気に入りの場所であった。沈思黙考するには墓地が一番落ち着く。例えるならプラハのヴュシはハラットだろう。
学生時代に通った思い出のプラネタリウム。数年前に閉鎖に追い込まれたが,若者向けの番組が複数上映されていて,カップルや家族連れで賑っていて驚いた。
チェコ・プルゼニュで活躍する友人のバイオリニストのYさんのコンサートが恵比寿で開催された。コンサートでは,チェコでいつもすれ違ってお会いできなかった物理学者のHさんと奇遇にも会えて,懇親会で楽しい一時を過ごすことができた。
樋口一葉の旧家付近を散策。小生は昔からこの付近の雰囲気が好きだが、実はここに来たのは初めてだった。
本当の鬼子母神(きしもじん)の鬼の字には角が無い(由来はこちら)。この境内は,小生が浪人生時代(河合塾池袋南校舎)の憩いの場所であった。今も変わらずに,駄菓子屋が開いていたのでラムネを飲んだ。この駄菓子屋は東京か豊島区で一番古いらしい。どうでもいい話だが、ここは「流星刀の女たち(森雅裕著)」の舞台にも出てくる場所だ。
都電荒川線に乗って東池袋方面へ向う。この近くにある雑司が谷墓地も小生のお気に入りの場所であった。沈思黙考するには墓地が一番落ち着く。例えるならプラハのヴュシはハラットだろう。
学生時代に通った思い出のプラネタリウム。数年前に閉鎖に追い込まれたが,若者向けの番組が複数上映されていて,カップルや家族連れで賑っていて驚いた。
チェコ・プルゼニュで活躍する友人のバイオリニストのYさんのコンサートが恵比寿で開催された。コンサートでは,チェコでいつもすれ違ってお会いできなかった物理学者のHさんと奇遇にも会えて,懇親会で楽しい一時を過ごすことができた。
夏の思い出(2)
8月6日;東大本郷,赤門を通過。本郷→湯島→秋葉原→御茶ノ水→神保町は、小生の庭である。学部生の頃はいつもこの辺りを徘徊していた。
樋口一葉の旧家付近を散策。小生は昔からこの付近の雰囲気が好きだが、実はここに来たのは初めてだった。
本当の鬼子母神(きしもじん)の鬼の字には角が無い(由来はこちら)。この境内は,小生が浪人生時代(河合塾池袋南校舎)の憩いの場所であった。今も変わらずに,駄菓子屋が開いていたのでラムネを飲んだ。この駄菓子屋は東京か豊島区で一番古いらしい。どうでもいい話だが、ここは「流星刀の女たち(森雅裕著)」の舞台にも出てくる場所だ。
都電荒川線に乗って東池袋方面へ向う。この近くにある雑司が谷墓地も小生のお気に入りの場所であった。沈思黙考するには墓地が一番落ち着く。例えるならプラハのヴュシはハラットだろう。
学生時代に通った思い出のプラネタリウム。数年前に閉鎖に追い込まれたが,若者向けの番組が複数上映されていて,カップルや家族連れで賑っていて驚いた。
チェコ・プルゼニュで活躍する友人のバイオリニストのYさんのコンサートが恵比寿で開催された。コンサートでは,チェコでいつもすれ違ってお会いできなかった物理学者のHさんと奇遇にも会えて,懇親会で楽しい一時を過ごすことができた。
樋口一葉の旧家付近を散策。小生は昔からこの付近の雰囲気が好きだが、実はここに来たのは初めてだった。
本当の鬼子母神(きしもじん)の鬼の字には角が無い(由来はこちら)。この境内は,小生が浪人生時代(河合塾池袋南校舎)の憩いの場所であった。今も変わらずに,駄菓子屋が開いていたのでラムネを飲んだ。この駄菓子屋は東京か豊島区で一番古いらしい。どうでもいい話だが、ここは「流星刀の女たち(森雅裕著)」の舞台にも出てくる場所だ。
都電荒川線に乗って東池袋方面へ向う。この近くにある雑司が谷墓地も小生のお気に入りの場所であった。沈思黙考するには墓地が一番落ち着く。例えるならプラハのヴュシはハラットだろう。
学生時代に通った思い出のプラネタリウム。数年前に閉鎖に追い込まれたが,若者向けの番組が複数上映されていて,カップルや家族連れで賑っていて驚いた。
チェコ・プルゼニュで活躍する友人のバイオリニストのYさんのコンサートが恵比寿で開催された。コンサートでは,チェコでいつもすれ違ってお会いできなかった物理学者のHさんと奇遇にも会えて,懇親会で楽しい一時を過ごすことができた。
夏の思い出(3)
8月14日;小生の実家でもある仙台訪問。伊達政宗の墓「瑞鳳殿」を散策。この直後の地震で,国宝である瑞鳳殿一帯は大きな被害を被った。
伊達政宗に帰国報告。
8月19日;町田にMASAさん,町田のプラネタリアンFさん,小生の学部時代の親友Sと東北の友人Mが集まり,帰国祝いの和食を楽しんだ。生活道具と研究道具を入れて移動している山登り用の巨大なザックを背負って店に入ると,客達が「おおぉっ」と叫んでいた。
8月20−21日;静岡県浜名湖湖畔に招待されて,小生が講演を行った。浜名湖では潮干狩り客が沢山繰り出していた。
浜名湖で講演を行った後,午後4時〜22時まで愛知万博を見学。まず向ったのは,もちろん「チェコ館」。展示内容は全くチェコと関係無かったのでスキップして,早速レストランへ入った。
満席のレストランでは,チェコ人ウェイトレスが疲れた表情で応対していた。小生のテーブルに来た彼女にチェコ語で話掛けると,途端に笑顔になり(この変わり様がチェコ人らしくて笑えた),他のテーブルの対応の合間に小生の所へ何度も雑談しにきた。プラハ出身のジナ(Zina)は,小生が店を後にする間際に連絡先の書いた紙をくれたので記念撮影をしてみた。
夕方から行ったので比較的スムーズにパビリオンを回ることができた。発掘された冷凍マンモスや「もしも月が無かったら(三菱パビリオン)」が楽しめた。目玉は無いけど,アジア,中東のパビリオン巡りがなかなか良かった。
8月中は3回神戸に戻った。道中の駅弁が宇宙研との往復での楽しみであった。
神戸大の構内では何度も野生の猪に遭遇した。親子連れの猪は危険。
伊達政宗に帰国報告。
8月19日;町田にMASAさん,町田のプラネタリアンFさん,小生の学部時代の親友Sと東北の友人Mが集まり,帰国祝いの和食を楽しんだ。生活道具と研究道具を入れて移動している山登り用の巨大なザックを背負って店に入ると,客達が「おおぉっ」と叫んでいた。
8月20−21日;静岡県浜名湖湖畔に招待されて,小生が講演を行った。浜名湖では潮干狩り客が沢山繰り出していた。
浜名湖で講演を行った後,午後4時〜22時まで愛知万博を見学。まず向ったのは,もちろん「チェコ館」。展示内容は全くチェコと関係無かったのでスキップして,早速レストランへ入った。
満席のレストランでは,チェコ人ウェイトレスが疲れた表情で応対していた。小生のテーブルに来た彼女にチェコ語で話掛けると,途端に笑顔になり(この変わり様がチェコ人らしくて笑えた),他のテーブルの対応の合間に小生の所へ何度も雑談しにきた。プラハ出身のジナ(Zina)は,小生が店を後にする間際に連絡先の書いた紙をくれたので記念撮影をしてみた。
夕方から行ったので比較的スムーズにパビリオンを回ることができた。発掘された冷凍マンモスや「もしも月が無かったら(三菱パビリオン)」が楽しめた。目玉は無いけど,アジア,中東のパビリオン巡りがなかなか良かった。
8月中は3回神戸に戻った。道中の駅弁が宇宙研との往復での楽しみであった。
神戸大の構内では何度も野生の猪に遭遇した。親子連れの猪は危険。
夏の思い出(3)
8月14日;小生の実家でもある仙台訪問。伊達政宗の墓「瑞鳳殿」を散策。この直後の地震で,国宝である瑞鳳殿一帯は大きな被害を被った。
伊達政宗に帰国報告。
8月19日;町田にMASAさん,町田のプラネタリアンFさん,小生の学部時代の親友Sと東北の友人Mが集まり,帰国祝いの和食を楽しんだ。生活道具と研究道具を入れて移動している山登り用の巨大なザックを背負って店に入ると,客達が「おおぉっ」と叫んでいた。
8月20−21日;静岡県浜名湖湖畔に招待されて,小生が講演を行った。浜名湖では潮干狩り客が沢山繰り出していた。
浜名湖で講演を行った後,午後4時〜22時まで愛知万博を見学。まず向ったのは,もちろん「チェコ館」。展示内容は全くチェコと関係無かったのでスキップして,早速レストランへ入った。
満席のレストランでは,チェコ人ウェイトレスが疲れた表情で応対していた。小生のテーブルに来た彼女にチェコ語で話掛けると,途端に笑顔になり(この変わり様がチェコ人らしくて笑えた),他のテーブルの対応の合間に小生の所へ何度も雑談しにきた。プラハ出身のジナ(Zina)は,小生が店を後にする間際に連絡先の書いた紙をくれたので記念撮影をしてみた。
夕方から行ったので比較的スムーズにパビリオンを回ることができた。発掘された冷凍マンモスや「もしも月が無かったら(三菱パビリオン)」が楽しめた。目玉は無いけど,アジア,中東のパビリオン巡りがなかなか良かった。
8月中は3回神戸に戻った。道中の駅弁が宇宙研との往復での楽しみであった。
神戸大の構内では何度も野生の猪に遭遇した。親子連れの猪は危険。
伊達政宗に帰国報告。
8月19日;町田にMASAさん,町田のプラネタリアンFさん,小生の学部時代の親友Sと東北の友人Mが集まり,帰国祝いの和食を楽しんだ。生活道具と研究道具を入れて移動している山登り用の巨大なザックを背負って店に入ると,客達が「おおぉっ」と叫んでいた。
8月20−21日;静岡県浜名湖湖畔に招待されて,小生が講演を行った。浜名湖では潮干狩り客が沢山繰り出していた。
浜名湖で講演を行った後,午後4時〜22時まで愛知万博を見学。まず向ったのは,もちろん「チェコ館」。展示内容は全くチェコと関係無かったのでスキップして,早速レストランへ入った。
満席のレストランでは,チェコ人ウェイトレスが疲れた表情で応対していた。小生のテーブルに来た彼女にチェコ語で話掛けると,途端に笑顔になり(この変わり様がチェコ人らしくて笑えた),他のテーブルの対応の合間に小生の所へ何度も雑談しにきた。プラハ出身のジナ(Zina)は,小生が店を後にする間際に連絡先の書いた紙をくれたので記念撮影をしてみた。
夕方から行ったので比較的スムーズにパビリオンを回ることができた。発掘された冷凍マンモスや「もしも月が無かったら(三菱パビリオン)」が楽しめた。目玉は無いけど,アジア,中東のパビリオン巡りがなかなか良かった。
8月中は3回神戸に戻った。道中の駅弁が宇宙研との往復での楽しみであった。
神戸大の構内では何度も野生の猪に遭遇した。親子連れの猪は危険。
August 04, 2005
コンサート情報
週末は,チェコの友人(バイオリニスト)の一時帰国コンサートを鑑賞して参ります。
【アンサンブル・フドバ 室内楽コンサート】
オランダ、ドイツ、チェコで活躍する演奏家の洗練された室内楽をお楽しみください。
8月6日(土)6時開演
場所 恵比寿テッドアートスタジオ
入場料4000円(パーティー付き)
演奏者 ヴァイオリン:山崎千晶(ピルゼンフィルハーモニー副主席)
ヴィオラ:金丸葉子(アムステルダム・コンセルトヘボウ団員)
チェロ:矢野智久(フライブルグ劇場オーケストラフォアシュピーラー)、称原哲夫(フドバ音楽監督)
ピアノ:小沢さち、沢由紀子
<プログラム>
バッハ 無伴奏チェロ組曲より プレリュード、サラバンド
シューベルト 弦楽トリオ
シューマン ピアノ4重奏より 3,4楽章
ホッパー ハンガリーラプソディー
リゲティ 無伴奏ヴィオラソナタ
ドヴォルザーク ピアノトリオ ドゥムキーより1,2,3楽章
連絡先 山崎 0422−37−9695
(FAX)0422−37−9697
称原03−3793−1068
042−360−8142
【アンサンブル・フドバ 室内楽コンサート】
オランダ、ドイツ、チェコで活躍する演奏家の洗練された室内楽をお楽しみください。
8月6日(土)6時開演
場所 恵比寿テッドアートスタジオ
入場料4000円(パーティー付き)
演奏者 ヴァイオリン:山崎千晶(ピルゼンフィルハーモニー副主席)
ヴィオラ:金丸葉子(アムステルダム・コンセルトヘボウ団員)
チェロ:矢野智久(フライブルグ劇場オーケストラフォアシュピーラー)、称原哲夫(フドバ音楽監督)
ピアノ:小沢さち、沢由紀子
<プログラム>
バッハ 無伴奏チェロ組曲より プレリュード、サラバンド
シューベルト 弦楽トリオ
シューマン ピアノ4重奏より 3,4楽章
ホッパー ハンガリーラプソディー
リゲティ 無伴奏ヴィオラソナタ
ドヴォルザーク ピアノトリオ ドゥムキーより1,2,3楽章
連絡先 山崎 0422−37−9695
(FAX)0422−37−9697
称原03−3793−1068
042−360−8142
July 29, 2005
さらばプラハ,重量オーバーの帰国劇
今日も猛暑で,記録を更新したようだ。絵葉書,コップ,皿,スプーン,ボヘミア・グラス,ヴルタヴィーンのアクセサリーなどをどっさり購入して60リットルの登山用ザックに詰め込んだ。黒いマドンナの家のカフェで茶をしばき内部のキュビズムを拝見してから,テスコでベヘロフカ,フェルネットを購入し(ワインは重いので諦めた),午後3時に空港に到着。荷物番をしてくれた同僚パヴェルと合流し,小生はチェックインを行った。ここで問題発生。
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July 28, 2005
怒涛の引越し
最後の2日間は怒涛の帰国準備であった。28日午前中にベネショフの保険会社で行き,自動車保険の解約手続き行い,28時23時59分59秒で保険が無効になることになった。午後には,まず,プラハ郊外のN&Kさんのパネラークへ行き不用品を譲り,その足でN&Kさんらを引きつれて,プラハ(プルゼニュスカー通り)の税関郵便局へ行き荷物を発送。Pytel(書籍,CD,DVD)とBalik(その他)で船便で発送。船便と言っても,チェコには海が無いので航空機での郵送になるSAL便に相当する。Pytelだと30Kgで6千円強である。デイヴィツカーの和食材店JAPAに寄り,ダンボールを調達してオンドジェヨフ天文台へ戻り,残りの書籍を梱包して再び税関郵便局へ戻った。プラハは36℃と猛暑で,途中で車がオーバーヒート。冷却水を追加暫してボンネットを開けて回復させた。何とか税関郵便局が閉まる18時直前に書籍の郵送を完了させた。しかし,まだ自宅の荷物は梱包すら行っていない状況。郵便局で箱を5箱購入し,3人でムーステクの中華で腹を満たし,Nさんのみを連れて再びオンドジェヨフへ戻った。Nさんの多大な協力で21時前に梱包を完了し,プラハへ急行した。税関郵便局はもう閉まっているので,夜中まで開いている中央郵便局へ車を乗り付けた。Balikを受け付けてもらい何とか郵送を終えた。その後,チェコ人美女と合流して,ルツェルナで軽く杯を交わした(小生はノンアルコール・ビール)。ダンボールが足りなかったので,Nさんのパネラークへ寄って2箱をゲットして自動車保険が既に切れた午前1時前にオンドジェヨフに戻った。自宅に残った荷物を整理して掃除,研究室に戻り電子機器をトランクケースに詰め込んだ。朝6時になってようやく片付いた。家で仮眠してから永訣の朝午前9時に,最後になるオンドジェヨフの通勤路をこれまでの2年弱を思い出しながら歩いた。小生の愛車シュコダ・ソラ号を次のオーナーの友人に渡した。渡す際,昨日のオーバーヒートについては直接言わなかったが,気温が35度以上の場合オーバーヒートする可能性があることを伝え,冷却水を交換するように忠告しておいた。結局土産を買う暇は無かったので,天文台から空港まで送ってくれる車に荷物だけを頼んで,小生は一足先にプラハへ行き土産を買ってから空港で合流することにした。
July 27, 2005
オンドジェヨフ,お別れセミナー
午後1時,研究室の面々と他の研究室の方々計16名が集まり,お別れパーティーを開いて頂いた。小生の受け入れ教官であるボスが,小生との出会いであった1999年・NASA航空機流星観測ミッションの話しから始め,2002年に東京・お台場の未来館で小生らが主催した国際学会にボスと大ボスらを招待した際「チェコで研究を行いたい」という小生の提言に正直驚いたことや,グラントを得て本当にチェコ・オンドジェヨフに来てしまったことへの驚愕(小生が本当に来てしまうとは思っていなかったらしい),幾つかの重要な研究成果を論文としてまとめた功績への賛辞と,研究を通して小生から受けた様々な刺激について,オンドジェヨフの学生連中相手に行った非公式セミナーや,多くの日本人・チェコ人を招いて行ったパブリック・アウトリーチ(天体観測会)などなどを紹介してくださり,そして,今後も協力して研究を進めていくことをお話してくださった。小生もお礼のスピーチを述べた。
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July 26, 2005
チェコの役所の洗礼 To je Skoda!
左が1975年,右が1995年式のシュコダ(SKODA)だ。チェコでは30年前のチェコやロシア製の車が,最新式の車といっしょに普通に走っている。高速道では性能(速度)の差が,時には事故にも繋がるので運転には注意が必要だ。先週末に,小生の愛車シュコダ1995フェリツィア「ソラ号」が売れたので,名義変更手続きを行うために,昨日の午後にプラハ郊外のジチャニーに行ってきた。しかし,ここにきて忘れ掛けていたチェコの役所の恐るべき洗礼を再び受けることになってしまった。チェコの役所の悪しき洗礼を読んだらクリック
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July 25, 2005
チェコ人情旅行と世界遺産三昧
週末は,ボヘミアの大地を駆け巡り,多くのチェコ人たちと触れ合い,思い出に残る素晴らしい時を過ごした。撮影した写真は500枚に上る。引越し前の忙しい最中なのでハイライトだけ簡単に記し,チェコ人情旅行記はまた後日にまとめることにしよう。
ボヘミアの世界遺産が美しいと思ったらクリック
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July 22, 2005
チェコで和食
昨夜は,お世話になったチェコ人宅で小生の手料理を振舞った。かぼちゃの煮物,ヒジキ,きんぴら,麻婆豆腐を自宅で調理して持参。ヒジキと麻婆豆腐が特に気に入ったようであった。美味そうだなぁと思ったらクリック続きを読む
July 20, 2005
最後のチェコの英語セミナー
天文台で開催されるセミナーは,全体セミナーも研究室のセミナーも全てチェコ語で大変ボーリングある。そこで,チェコに来て落ち着き始めた頃から,小生主催の「お茶ゼミ」を1年半前に開始した。日本茶をしばきながら英語で新着論文紹介や研究紹介をする。1人少なくとも1トピックを持参するというのがルールである。夏休み,クリスマス,イースターなどを除き,ほぼ毎週続けたお茶ゼミは,今日で第51回目を迎えた。130本以上の論文と150以上のプレスリリースやその他ニュース・トピックなどが紹介発表された。その殆どは,小生とポスドク同僚のパヴェルによるものである(二人だけのゼミも何度もあったが続けた)。ゼミで紹介された論文やニュースは,全て小生の研究ホームページにまとめてあり,自身の研究にも「あーあの時あの論文読んだっけなぁ〜」と役に立っている。帰国後もなるべく毎週SKYPEを使って続けようということになった。
最後のチェコの甘定食
来週は食堂は夏休みとなるので,今日は最後の「甘定食」となった。チェコ人は1人当たりのビール消費量が10年連続世界一を誇るとともに(アイルランド2位,ドイツ3位),あまり知られていないのだが,甘党大国でもある。1週間の天文台の昼食メニューでは,必ず甘い定食を食べる日がある。日替わりスープが付くが,食事はなんとこれだけなのだ。チェコに初めて来て,大の大人達が甘菓子を昼食として食べているその異様な光景を見たときは,もう笑うしかなかった。しかし小生も大の甘党派なので,毎週の甘定食の日が楽しみになってしまった。そして,最後の甘定食は「ボフニツキー(buchtičky s krémem)」。buchtičky(フルーツケーキ[複数形])に,クリームがかけられたチェコの一般的な甘い定食であった。このクリームがなんとも美味いんだな。クリックしてブログランキングのご協力を
July 19, 2005
東欧の緑の妖精の囁き「アブシンス(アブサン)」
チェコでは「アブシンス,アブサン(Absinthe)」はカフェなどでも普通に扱っており先日我々も飲んだが,これは本物ではない。アブサンが創生された18世紀は,ツヨン(Thujone)の濃度が30ppm(1ppm=0.0001%)程度で,ゴッホやピカソなどの芸術家達にもてはやされた19世紀末には10ppm程度だった。その後禁制期になりアブサンは地下に潜った。東欧(旧共産圏)などでは密造が続いたが,業者による品質のばらつきが大きく紛い品が横行しており,正真正銘のアブサン(ツヨン10ppm以上)を我々庶民が口にすることは難しいようである。近年の新合法アブサンは,ニガヨモギ(学名Artemisiaabsinthum)からツヨン分子除去を行い(フレーバーには,ニガヨモギは少なくアニスが使われている),ツヨン濃度は2ppm以下の合成的な風味で,アブサンへの夢を無残にも打ち砕いたものだとか。日本でもEG基準に則った合法アブサンが入手できるが,評価に値しないそうだ。今日では密造品でしかお目にかかれない代物だが,プラハでは飲めそうな気がする。誰か本物のアブサンを飲める場所をこっそり教えてください。クリックしてブログランキングのご協力を続きを読む
July 17, 2005
チェコの空・壮行会, Sora's send-off party in Praha
Dear My Friends,
I would like to say how grateful I am for the opportunity to see you again at the send-off party, organized by 3 officers(A-M-N-sann), where 35 participants rendezvoused at Praha. I would like to possible opportunities for further friendship between you and me, Czech and Japan.
I look forward to seeing you again in the near future and to an opportunity return your kind hospitality.
Finally, I wish to express my deepest appreciation to all of my Czech related friends for the lovely memories which you presented to me during my stay in Czech and I also wish you the best of success in your future.
Sincerely, yours
SORA
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I would like to say how grateful I am for the opportunity to see you again at the send-off party, organized by 3 officers(A-M-N-sann), where 35 participants rendezvoused at Praha. I would like to possible opportunities for further friendship between you and me, Czech and Japan.
I look forward to seeing you again in the near future and to an opportunity return your kind hospitality.
Finally, I wish to express my deepest appreciation to all of my Czech related friends for the lovely memories which you presented to me during my stay in Czech and I also wish you the best of success in your future.
Sincerely, yours
SORA
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July 15, 2005
Valka Svetu
Kdyz mimozemstane pristali na planete Zemi ve filmu Stevena Spielberga naposledy, vznikl film, ktery jen ve Spojenych statech vydelal 435 milionu dolaru a stal se ctvrtym nejuspesnejsim snimkem filmove historie. Rec je samozrejme o E. T. Mimozemstanovi. Ted nam slavny reziser pripravil dalsi blizka setkani tretiho druhu, navic s nejvetsi filmovou hvezdou soucasnosti v hlavni roli. Tom Cruise je ale jen jeden z mnoha duvodu, proc Valka svetu patri mezi nejocekavanejsi prispevky letosni filmove sezony.
結末に触れているので,鑑賞予定の方はご注意ください。
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July 13, 2005
チェコの健康診断
K戸大学赴任のために健康診断書が必要とのことで,先月,プラハ(チェコ)で最も大きいM総合病院にお願いしていたのだが,言語道断の対応の悪さだったので(人を馬鹿にした態度だったので)病院を変更。プラハ6区に「Canadian Hospital」という主に外国人を受け入れてくれる病院を見つけたので,こちらにお願いしてみた。健康診断書の提出期限が今週始めだったのだが,国民の休日がある7月4日の週は何と病院は1週間休みであったので,本日よやく健康診断を受けることができた。「Canadian Hospital」の対応はすこぶる良く,身体検査&診断,視力,聴力,尿検査を手際よく行ってくれた。ショックだったのは,左目の視力がかなり落ちていたことだ。昔は測定不能(2.0以上)だった両目が,右目は1.2-1.5と良好なのだが,左目が0.9になっていた。悪い訳ではないが,両目の差が大きいので日本に帰国したらちゃんと診てもらった方が良いと主治医に言われた。確かに左目の視力に違和感を感じてはいた。チェコの暗い部屋の中で寝転がって書籍を読んでいたので視力が落ちたのかもしれない。
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July 12, 2005
チェコの聖地;ジープ山(Hora Rip)
まーらいおんさんのチェコでの最後の思い出が強制収容所というのはかわいそうなので,小生はテレジーンの後にチェコの霊峰に登ることを計画していた。実は外国人には殆ど知られていないのだが,ジープ山(Hora Rip)は,チェコ人の誰もが知る最重要地点なのである。
”むかーし,むかーし,今から2千年くらい前にチェフ(Cech)という男性がいた。彼はこの標高500m足らずの小高い丘に登ってボヘミアの地をチェコと名づけて,ここにチェコが誕生したのである。” 裏が取れていない又聞きの伝説を説明しても,Mさんは一向に納得しない「こんなど田舎の山がそんな重要なはずはない」。それらしい標識も何もない。寄り合いをしている村人達は,(こんな所に東洋人が紛れ込んで来たと)じっと我々の顔を見て驚いている。山に近づくにつれて小生も半信半疑になってきた。クリックしてブログランキングのご協力を
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”むかーし,むかーし,今から2千年くらい前にチェフ(Cech)という男性がいた。彼はこの標高500m足らずの小高い丘に登ってボヘミアの地をチェコと名づけて,ここにチェコが誕生したのである。” 裏が取れていない又聞きの伝説を説明しても,Mさんは一向に納得しない「こんなど田舎の山がそんな重要なはずはない」。それらしい標識も何もない。寄り合いをしている村人達は,(こんな所に東洋人が紛れ込んで来たと)じっと我々の顔を見て驚いている。山に近づくにつれて小生も半信半疑になってきた。クリックしてブログランキングのご協力を
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July 11, 2005
チェコの強制収容所「テレジーン」と霊峰「ジープ山」
日曜の夜に友人の物理学者まーらいおんさんがフィンランドへ帰国されるとのことで,午後はプラハから北へドライヴへ出かけた。目的地は,テレジーン。強制収容所である。クリックしてブログランキングのご協力を続きを読む
July 02, 2005
Na prodej ! チェコ・シュコダ車売ります(チェコ在住の方限定)
Na prodej !
Značka; ŠKODA FELICIA(1300cc)
Majitel; Dr.SORA
Rok výroby; 1.1.1995
Dodavatel; AAA AUTO, Praha 8
Koupeno dne; 18.11.2004
Běh; 175 000 Km
Toužebný Cena; 40 000 Kc (180 000 Yen)
Součásti vybavení
- Stereo(AM, FM, kazeta, MP3 konektór)
- 4 nové zimní pneumatiky
- 2 nové baterie
- Základní nářadí na opravu, řetěz na pneumatiky, kabel na baterie atd.
Chtěl bych prodat svoje auto, protože se na konci července vrátím do Japonska. Toto české auto je ve slušném stavu!
June 17, 2005
チェコのカルチャーショック (追加)
チェコのカルチャーショックの続き.
その他,カルチャーショック情報や,各カルチャーショックに相当する写真をお持ちの方は,小生までお知らせ&お送りください.写真付きカルチャーショック集を次回にまとめたいと思います.続きを読む
その他,カルチャーショック情報や,各カルチャーショックに相当する写真をお持ちの方は,小生までお知らせ&お送りください.写真付きカルチャーショック集を次回にまとめたいと思います.続きを読む
June 15, 2005
お引越し
チェコから日本への郵送料って凄い高い!30kgで9800Kc(45000円).20kg箱で15箱も書籍などを持ってきた小生の手荷物は300kgもある.うはぁー45万円,やれやれだぜ.2年間で手に触れた本はそのうち2/3くらいかな.潔く捨てて行くしかないかな.欲しい方,無料で進呈します.映画マトリックスみたいに,本の内容が頭に全て入ってしまえばいいのになぁ.
June 12, 2005
チェコのパネラーク
週末に知り合いの学生さんの引越しを手伝ってきた.引越しと言っても,単に小生の車でちょっとした荷物を運んだだけである.ベトルニークの学生寮は,7月からの夏休み期間は,ユースホステルとして開放されるので学生らは出て行かなければならない(或いは部屋を移動する).このタイミングで引越しを行うことにしたようである.引越し先は,プラハ郊外(オパトフの近く)に広がるパネラークの6階である.
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June 10, 2005
June 02, 2005
チェコで相撲
今日は久々にボスと1時間半議論して,残り少ない小生のチェコ滞在中での研究論文などについて相談.夕方からプラハ中央駅へ行って,明日早朝のブラチスラヴァ行きの切符を購入.タトラ山行にいっしょに行くK君に山岳地図を渡し,軽く山行の打ち合わせ.イーペーのStudent Agencyへ7月のクロアチア行きの航空券の代金を払いに行ったら,既に予約がキャンセルされていた(ネット予約は1週間でキャンセルされる).その場で調べてもらったところ1席だけ空きがあったのチケットを購入.1000Kcも値段が上がっていた.続きを読む
June 01, 2005
サッカー
昨日はサッカー(fotbal)最終日.室内サッカー・インドアサッカーを毎週火曜日の17時から2時間行っているが,6月から9月は室内が暑くなりすぎるのでオフシーズンとなるのだ.参加者は天文台とオンドジェヨフの村人である.いつも6〜10人くらい集まって,隣村の体育館で行っている.サッカーというよりは,フットサル(サッカーを表す「Fut」と室内を意味する「Sal」を合わせた言葉が語源)と言った方がいいだろう.フットサルとはいっても,2時間休憩無しでチェコの大男達と揉み合うので,相当量の運動である.続きを読む
May 30, 2005
May 29, 2005
コノピシュチェ城
コノピシュチェ城を訪問.コノピシュチェ城はサラエボ事件(サラエヴォでオーストリア皇太子がセルビア人の青年に暗殺されたのが引き金になって第一次世界大戦が始まった)で暗殺されたオーストリアのフェルディナンド皇太子の居城として有名.実はこの城は小生の家から車で20分ほどのところなのだが,未だに入城したことがなかったので今日は中を攻めてみることにした.
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May 26, 2005
どうしてチェコへ来たのか〜Episode I〜
【天体観測の切掛け】 今日と明日(次回はまた後日)は,小生がチェコへ来た訳を記してみたい.さて何処から説明しようか....Back to 1985年,小生がまだ中学生の時に「ハレー彗星」がやって来た.正確には1986年春に向けてハレー彗星が地球に近づいていたのである.幼少の頃から宇宙や空,科学に関心が強く,このハレーブームを機に望遠鏡(ビクセンFL80s)を購入し天体観測を始めた.その頃は埼玉県南部の川口市に住んでいたのだが,自宅のベランダや屋根の上,近くの見沼田園までよく観測機材を担いで行ったりしていた.晴れた夜は必ず屋根の上に登って夜空を見上げる少年の姿は,近所では変態扱いされていたようだ.最初は観測といっても詳細な記録を付けていた訳ではなく,主に天体写真(変態写真じゃない)撮影にのめり込んでいた.新田次郎著「聖職の碑」を読み,中央アルプスへ親父と登り(小生は観測機材を運ぶために山頂を2往復した),宝剣山荘の横で撮影した初めての天体写真が雑誌「スカイウォッチャー」に掲載されたりもした(この白鳥座の写真;随分昔にスキャンしたので画質悪).埼玉県の堂平天文台や栃木県の那須,千葉県房総半島など,親父の車で何度も遠征をして,ポジフィルムで天体写真を撮りまくっていた.ハレー彗星はしょぼかったが,良い切っ掛けにはなった.
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May 25, 2005
宴会
セミナーでの発表(3・4月の国際会議トピック報告)終了後,「裏30's会合」に誘われていたので1時間ほど遅れて,20時頃にプラハ6区のキムチに到着.チェコの企業戦士,旅行代理店,国連,某国大使館関係者など,いつもとは違った顔ぶれ13名が集まり,非常に楽しい一時を過ごすことができた.韓国料理と日本酒で宴もたけなわになり,カラオケも始まり皆壊れていった.午前0時過ぎに一本締めで閉会したが,既に宴会部長は完全につぶれて倒れこんでいた.小生も日本酒でかなり酔っていたのでどうやって帰ったのかは余り定かでないが,小人さんが運転するソラ号で帰宅.二日酔いで頭がガンガンするが,早朝には研究室へ来て午前中のセミナーの準備と発表をこなした.続きを読む
May 24, 2005
プラハの春の夜
昨夜は20時から,プラハの市民会館スメタナホールで「プラハの春コンサート」を楽しんだ.演奏は由緒あるオーケストラ「シュトラウス・オーケストラ(Sachsische staatskapelle Dresden)」.演目も素晴らしく「プラハの春」にふさわしいコンサートであった.今夜のメインであるブラームスの交響曲第2番,全4楽章のうち第2楽章はチェコの初夏の草原を走り抜ける風のような心地良い音楽,そして第4楽章で感動のクライマックスを迎えた.指揮者のヤコフ・クライツベルグ(Yakov Kreizberg)は,細身だが迫力と躍動感ある素晴らしい指揮を行い,見ていても飽きなかった.小生はプラハの音楽家とごいっしょさせて頂いたのだが,席は750Kcの中央やや後ろ寄りのセンターで,スメタナホールの音響を体一杯に浴びることができる最高の席であった.正面(オケの背後)のオルガン席(300Kc)には,小生の知り合いの姉妹もいらっしゃった.背後の席は,指揮者の表情などがよく見えて楽しいそうだが,やはり音響は悪いとのこと.コンサート後のカフェ「ルーヴル」で茶をしばきながら余韻を楽しんでから帰宅.素晴らしいプラハの春の夜であった.
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May 22, 2005
城攻め;カルルシュテイン城
週末にカルルシュテイン城に行ってきた(実は初めて).プラハから南西へ車で40分くらいの相当田舎にあった.駐車場(1日70Kc=300円ほど)に車を止めて,城へ続く道を20分くらい歩く.途中から石灰岩の断崖の上に中世の面持ちのカルルシュテイン城の見事な姿が現れた.チェコ政府が推奨する全国110箇所の城のうち,最も重要で美しい名城中の名城がこの城,Karlstein城である.カレル一世がボヘミア王となって間もない1348年から城の建設が始まり,1355年には皇帝の居室が完成した.16世紀にルネサンス様式に改築され窓が設けられ,19世紀に屋根が修復されたが,基本的には14世紀のままの姿の城である.
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May 18, 2005
ブランボラーク
一日で一番の楽しみである今日の天文台の定食は「ブランボラーク(Brambrak)」だった.これはチェコ版お好み焼きのようなもので,すり潰したジャガイモと小麦粉,卵,牛乳で作った生地をたっぷりの油で焼く.ニンニク,マジョラムがたっぷり入っていて美味い(ビールによく合う).小生の大好物で,自分でもよく作る.天文台のブランボラークは,薄い生地で仕上がっていてまあまあ美味い.ジャガイモと油が豊富に使われているので食べ過ぎると太る.チェコではこんなもん(と言っちゃ失礼だが)を毎日有難がって食っとるんですな.スープとティーが付いてこれで20Kc(90円).プラハとは違い,この村にいると本当に質素な生活です.続きを読む
May 17, 2005
静かな世界遺産の町 トシェビーツュ〜聖堂とユダヤ人地区〜
M・クルムロフから40km,車で約30分で,いよいよトシェビーツュ(Trebic)に到着.以外にも大きな町でびっくりした(人口4万人)が,チェコのありふれた田舎町といった佇まいである.まずは車でセントラム(中心街)へ進入.休日なので駐車場は無料であった.2003年に世界遺産に登録されたばかりなのか,町には観光客は見当たらず静かな日曜日であった.我々は世界遺産巡りの前に,まずはチェコ飯とビールで腹を満たした.
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ムハのスラヴ叙事詩
アルフォンス・ムハ(ALFONS MUCHA 1860-1939)の故郷,ブルノ郊外のイヴァンチィッツェ(Ivancice)を通過.ムハはこの小さな町で生まれ19歳の時にウィーンへ出て舞台装飾画として働いたが失業.ミクロフへ行き,そこでパトロンとなるクーエン伯爵と出会いミュンヘン美術アカデミーとパリで2年間ずつ絵画を学んだ.主にフランスで活躍していたので,「ムハ」(チェコ語発音)よりも「ミュシャ」(フランス語発音)の名の方が一般的.
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May 16, 2005
May 15, 2005
チェコ優勝
お隣オーストリアのウィーンとインスブルックで4月30日から5月15日まで「2005年アイスホッケー世界選手権」が開催されていたが,昨夜の決勝戦(ウィーン)でチェコ共和国がカナダを3−0で下し優勝を果たした. チェコは4年ぶり5度目の優勝(チェコスロバキア時代を含めると11度目の優勝).特設会場となったプラハの旧市街広場は,応援団が詰め掛けて大変なお祭り騒ぎとなった.いやぁーチェコは圧倒的に強かったなぁ.おめでとう!
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